30日<原爆│ひとびとの苦痛と平和への祈り│salvation>

朝、ちゃんと起きてビジネスホテルの朝食を食べる。
バイキング(とは言ってもスタンダードな顔ぶれ)で、適当にパン、サラダなどをチョイスして朝食をとる。
Cafeと一緒のとこやったし、窓辺は平和大通りに面していて、雰囲気もよかった。
朝食も決して悪くない。
でも、そこで食べるひとは、「じゃけー」とか言ってるから、不思議な気持ちになった ( °▽°)

それからチェックアウトをして、広島平和記念公園と平和記念資料館にいってきた。
まずは平和記念資料館。
入館料が¥50なことにびっくりした。
平和への想いはお金ではないってことなんやろうなぁ。
地階の特別展からみていった。
一番心を締め付けたものは、被爆者の描いた原爆の日の絵やった。
その一枚ずつが、決して歴史の上では語られることのない、悲痛な苦しみ・想い・とりかえのきかない大事なものを奪われた喪失感を強く、切に伝えていた。
不条理な暴力で大事なひとを奪われていった、悲しみに胸がずっとつまった気持ちになっていた。
資料館の展示は、原爆・戦争というものの惨さを一貫として、強調していた。
でも、正直な話、被爆者の描いた原爆の日の絵の方が個人的な記憶であるがうえに、圧倒的に訴えるものがある。


話は少し変わるけど、ホンマに日本に原爆を投下したアメリカは100%正当化できるものやったんやろうか。
歴史をあまり知らない人間が想うことやから、間違いも少なくないかもしれないけど、資料館で学んだことから思ったこと。

当時はアインシュタインの特殊相対性理論により、原子爆弾の実現可能性がでてきて、アインシュタインはそれが自国ドイツのナチスの手に落ちることを一番に危惧し、悩んだ末に亡命先のアメリカ大統領に原爆の製造の必要性を告げる文書を送る。マンハッタン計画と言われる原爆開発計画が進められ、アメリカ中の科学者が集められ、巨額の資金を投入し、原爆がつくられる。
(これには有名どこで、ノーベル賞受賞者のファインマンなども加わっている。)
投下するまえに、ドイツが降伏してしまい、その矛先は日本に向けられる。
でも、当時は日本はもう十分に抵抗する力は残ってなかったやろうし、時間の問題っていうことはわかっていたやろう。
巨額な資金を投入した結果を示す必要性、戦後の戦勝国のチカラ関係のために原爆を投下したっていう政治的側面はある。
仮に、もう日本の戦意をそぐために、広島に原爆を投下したっていうのなら、長崎に原爆を数日後に投下したっていうのは、なんて言えばいいのやろう。
(広島と長崎に投下されたものは、ウラン型とプルトニム型である。)
アメリカなどには、日本が南京大虐殺などアジアにしてきたことへの報いであるという人もいるやろう。
でも、それは実際に必要やったものなんやろうか。
その当時の日本の行ないを正当化するわけでは決してないけど、ひとをいっぱい殺した国のひとを、いっぱい殺してもいいっていう論理は決して正しいのやろうか。

歴史的認識っていうものは、歴史に対して浅学の自分がどうこういうのは難しい。
でも、広島のひとびとは突然の原爆によって、大事なひとをなくし、自分自身も肉体的にも傷つき、放射線を浴びたことでかろうじて生き延びたひとも後遺症に苦しんでいる。
広島というは、大きな喪失を経験し、また、再生っていうものを経験した都市なんやろう。
そう、感じた。
(記念資料館も最後は原爆投下後、地面から生え、咲く花のパネルで締めくくられている。)

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そして、僕たちは平和記念公園にでて、平和記念モニュメントに平和への祈りを捧げ、原爆ドームも周りぐるぐる見てまわる。

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新井口の方へ移動し、アルパークで広島風お好み焼きを食べる。
広島風お好み焼きは、うどんがしいてあるのがありこれを注文。
モダン焼きのうどん版。
関西風との違い…。
あえていうなら、ソースがちょっと甘いかなぁ。
他はあんまわからんw
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広島の夜景を上から眺めるとすごく綺麗やった。
神戸の夜景に近かったけど、でも、また違った良さがあった。
ビジネスホテルに戻ると、お風呂に入った後はすぐ寝てしまった。
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by yoshi_kyoto | 2005-08-30 18:49 | いちにちのこと  

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